SAVE TAROBO PROJECT
まもろう たろぼう ─ 第15

岩の上に、ちょこんと置いただけ

連載 きてやたろぼう/文・前川 真司

ここからは、「まもろう」です

14回にわたって、この山のことを見てきました。

恐竜時代の岩から、天狗の謎、神様の名前、渡来の人々、燃える夜、そして1400年もつづく一年の営みまで。

「まなぼう たろぼう」は以上です。

そしてここからは、「まもろう たろぼう」です。

いま、この山で何が起きているのか。

この山を直すのは、どんな人たちなのか。

まずは、あの舞台の話から始めましょう。

——ただし、湿っぽい話ではありません。

この回は、驚きの連続になるはずです。

岩の上に、ちょこんと

太郎坊宮の舞台。

崖から張り出した、あの木造の床です。

あれを支えているのは、斜面に立てられた長い柱とそれを横につなぐ「貫(ぬき)」という材。

この工法を「懸造(かけづく)り」といいます。京都・清水寺の舞台と同じです。

では、その柱の足元は、どうなっているのでしょう。

修復を手がける宮大工さんに聞いて、思わず聞き返しました。

全部、岩の上にちょこんと置いただけですわ。

——置いただけ?

正確には、岩の上に四角い石を据え、その上に柱を立てているのだそうです。

埋めもしない。固定もしない。

その状態で、明治13年から146年、この舞台は落ちていません。

台風が来ても、地震があっても、雪が積もっても。

なぜ、落ちなかったのか

この問いを、そのまま宮大工さんにぶつけてみました。

答えは、こうでした。

あの舞台は、あの場所に合うてるんやと思います。どうもならんように、できてる。

——どうもならんように、できてる。

固めて動かなくするのではなく、その土地の形に合わせて、無理のないかたちで組む。

だから、揺れても壊れない。

これは、名前も残っていない、明治の大工たちへの、最上級の讃辞だと思いました。

ちなみに、この宮大工さんは清水寺の舞台の修復も手がけた方です。

その方が、こうおっしゃいます。

太郎坊宮のほうが、難しい、と。

上に作業するスペースがない。まわりは絶壁。足場も置けない。

——本当に、あんなところに、よく建てたものです。

釘は、どんどん使う

ところで、こんな話を聞いたことはないでしょうか。

日本の伝統建築は、釘を一本も使わない——。

これを宮大工さんに確かめたところ、あっさり否定されました。

釘は、どんどん使いますよ。板なんか、釘やないと留まらへん。

では、何を使わないのか。

金具です。

いまの建築なら、木と木の接合部を金物でがっちり固定します。

けれど社寺建築では、それをしない。

代わりに、木そのものを複雑な形に刻み、パズルのように組み合わせます。

これを「仕口(しくち)」といいます。

縦の力に強い仕口。横の力に強い仕口。

用途によって、形がまったく違うのだそうです。

宮大工さんは、こう言いました。

これが、大工の命ですわ。

設計図が、ない

さて、ここからが本題です。

146年前の舞台に、設計図は残っていません。

そもそも、当時は図面そのものがなかったといいます。

昔は、大工の頭の中ですわ。

では、どうやって直すのか。

ここで登場するのが、「原寸図(げんすんず)」です。

ふつうの建築図面は、五十分の一や三十分の一に縮めて描きます。

社寺建築では、それを——実物大で描くのです。

ベニヤ板をずらりと畳のように敷き詰め、その上に、部材の形をそのままの大きさで描いていく。

なぜ、そんな手間をかけるのか。

理由は、曲線です。

直線なら物差しで計算できます。けれど社寺建築の美しい反りや曲線は計算だけでは引けない。

さらに、百年以上たった建物は、少しずつ歪んでいます。

その歪みも含めて、実際に形を取ってみないと分からない。

岩の形を写し取り、その上に柱の位置を描く。

——現場に合わせて、一本ずつ。

百年後の職人が困らないように、というより、目の前の一本を正しく納めるために。

丸ごとは、替えない

修復と聞くと、古い木を全部新しくすると思われるかもしれません。

けれど、そうではありません。

柱の上のほう、雨の当たるところが傷んでいたとします。

そのとき職人は、傷んだ部分だけを切り取り、そこに新しい木を継ぎます。

使うのは、もちろん仕口です。

146年の木と、今日切り出した木が、一本の柱になる。

しかも、外から見ても継ぎ目がほとんど分かりません。

——古いものを、全部捨てない。

この考え方が、この山の建物を「千年単位」で生かしてきたのです。

木を、待つ

使う木にも、話があります。

今回、床にはヒノキ、柱にはケヤキを使う計画です。

ケヤキは非常に硬く丈夫ですが、乾かすときに反ったり割れたりしやすい。

だから、二十年、三十年かけて自然に乾かし、木を落ち着かせる必要があるのだそうです。

さらに、雨の当たる場所に使う木は、外側の白い部分を避け、中心の「赤身」だけを使います。

太い木から、細い材しか取れない。

どこをどう切れば、その木がいちばん生きるか——これを「木取り(きどり)」といい、宮大工の腕の見せどころなのだそうです。

そして、良い木は市場で買えるとは限りません。

山に直接出向いて、譲ってくれと交渉することもある。

木を探し、木を待ち、木を読む。

——建てる前から、仕事は始まっているのです。

そして、担いで上がる

最後に、いちばん物理的な話をします。

使う柱で、いちばん長いものは約15メートル。

これを、山の上まで運ばなければなりません。

クレーンは入りません。あそこは断崖絶壁で、重機の道がない。

では、どうするか。

人の手です。

あの狭い参道を、職人たちが担いで上がることになります。

持って上がる入り口が、一番怖いですからね。

——146年前も、きっと同じでした。

クレーンどころか、トラックもない時代です。

それでも、あの人たちは15メートルの木を担ぎ上げ、絶壁に舞台を架けました。

そして令和のいま、同じ道を、同じように上がっていく人たちがいます。

七十年たってからが、いい

取材の最後に、印象に残った言葉があります。

木造はね、七十年、八十年たった頃からが、良うなるんです。

新しいうちが良いのではない。

時間がたつほど、木は落ち着き、味わいを増していく。

だから、こう続きます。

きちっとお守りいただけるのが、一番。ひどうなる前に、手を入れることですわ。

——ひどくなる前に、手を入れる。

これは、第14話でご紹介した宮司さんの言葉と、同じことを言っています。

三十年ごとに手を入れて、この山を次へ渡していく。

神職と職人が、まったく違う道を歩いてきて、同じ結論にたどり着いている。

では、その「手を入れる」ために、いま何が必要なのでしょう。

次回、第16話。

神社の建物を守るとは、どういうことなのかを考えます。

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