SAVE TAROBO PROJECT
まなぼう たろぼう ─ 第11

山が燃える夜 ── 神と仏が、いまも一緒にいる祭り

連載 きてやたろぼう/文・前川 真司

神さまと仏さま、いっしょでいいの?

お正月は初詣、お葬式はお坊さん。クリスマスも祝う。

——日本人は無宗教だ、なんて言われたりもします。

でも、これはずいぶん昔からの、この国の作法でもありました。

仏教が伝わったのは、六世紀。前回お話ししたとおり、百済からの贈り物でした。

そのとき、この国にはすでに神様がいました。山の神、水の神、田の神。八百万の神。

ふつうなら、ぶつかります。

実際、伝わった当初は受け入れるか拒むかで朝廷が割れたと伝えられています。

ところが、この国の人たちは、やがて不思議な答えを出しました。

——どちらも、大切にすればいいのでは?

こうして、神様と仏様がいっしょにいる状態が生まれます。

これを「神仏習合(しんぶつしゅうごう)」といいます。

神社のなかにお寺が建ち、神様の前でお経が読まれ、神様に仏教風の名前が贈られる。

由縁書によれば、この考え方は奈良時代ごろから明治時代まで、およそ千年つづきました。

太郎坊宮も、まさにそうでした。

ふもとの成願寺というお寺のお坊さんが、この神社を管理していた時代があります。

神社の名前も「太郎坊権現(ごんげん)」。

権現とは、仏様が姿を変えて、神様としてこの世に現れた、という意味の呼び名です。

神様も、仏様も、天狗も、山伏も。この山では、ぜんぶが一緒にいたのです。

明治時代、国がそれを分けた

それが、ある年を境に変わります。

明治元年(1868年)。

新しくできた明治政府が、「神仏判然の令(しんぶつはんぜんのれい)」を出しました。

神社と寺を、はっきり分けなさい、という命令です。

神社のなかの仏像や経典は片づける。「権現」のような仏教風の名前は使わない。

神社に仕えていたお坊さんは、僧をやめて還俗(げんぞく)する。

さらに明治5年(1872年)には「修験道廃止令」。

山伏たちの修行そのものが禁じられ、法具も経典も、多くが壊されたといいます。

そしてこの流れは、政府の想定をこえて暴走します。各地で、寺や仏像が壊されたのです。

これを「廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)」といいます。

千年かけて溶け合ったものが、たった数年で、完全に引き裂かれてしまいました。

なぜ、そんなことを?

いったい、なぜでしょう。

幕末の当時、日本は、たいへんな時期でした。

黒船が来て、開国させられ、欧米の強大な国々と向き合うことになった。

このままでは、隣国の清や東南アジアのように、従属や、植民地にされてしまうかもしれない。

急いで、強い国をつくらなければならない。

そのために新政府が選んだのが、天皇を中心に国をひとつにまとめる、という方針でした。

天皇は、神話につながる存在です。ならば、その根っこにある神道を、国の柱に据えよう——。

そう考えたとき、神道に混じっている仏教は、邪魔なものに見えたのです。

つまり神仏分離は、信仰の話であると同時に、国づくりの政策でした。

そしてこの「強い国をつくる」という道は、やがて富国強兵へ、戦争へとつながっていきます。

薩摩では、千を超える寺が消えた

いちばん激しかったといわれるのが、薩摩藩、いまの鹿児島県です。

藩内の寺がことごとく廃され、その数は千を超えるといわれます。

僧侶たちは寺を出て、多くが還俗しました。

その影響は、いまも残っています。

宮司さんによれば、鹿児島県に縁のある方から、身内の法事をどこに頼めばよいか分からない、と相談を受けることがあるそうです。

百五十年前に壊されたものが、いまも戻りきっていない。

それが、この時代に起きた「ことの大きさ」です。

そのころ、この山では

では、太郎坊宮はどうだったのでしょう。

この山も、当然その波をかぶりました。

『近江蒲生郡志』によれば、明治9年(1876年)、社名は「阿賀神社」に改められています。

村人が交代でつとめていた当番神主の制度も改められ、大祭の日取りが変えられ、なくなった行事もありました。

そして——。

いま、私たちが修復しようとしている、あの舞台。

あれが建てられたのは、明治13年(1880年)と伝えられています。

神仏分離の嵐が吹き荒れる、まさにその真っ只中です。

全国で寺が壊され、山伏が追われ、千年の信仰が引き裂かれていた、その時代に。

この山の人たちは、崖に舞台を架けたのです。

神仏が融合するこの場所を、失うのではなく、新しくつくった。

由縁書によれば、明治から昭和にかけて建てられた社殿や建物は、各方面からの奉賛によるものだといいます。地元の氏子だけでなく、遠くの町の崇敬者たちも、この山を支えました。

神仏分離・廃仏毀釈の「嵐」のなかで、人々はこの山に手を差し伸べていたのです。

そして、山が燃える

さて、時代を現在に戻します。

十二月。太郎坊宮に、山が燃える日があります。

「お火焚大祭」。正式には、赤神山採灯大護摩供(あかがみやまさいとうだいごまく)。

護摩(ごま)とは、火のなかに供物を投じて祈る、仏教の修法です。

その火が、神社の境内で焚かれる。

由縁書は、この祭りをこう説明しています。

神道を土台として、仏教と修験道が融合した祭礼。

全国屈指の規模を誇る神道護摩行事といわれる、と。

——明治に分けられ、廃止されたはずの三つが、ここでは同じ炎を囲んでいます。

山伏が、やってくる

祭りの日、山伏の姿をした人たちが山に集まってきます。

法螺貝(ほらがい)。斧。弓。剣。背に負う笈(おい)。

けれど、彼らはすぐには祭場へ入れません。入り口で、問答が始まるからです。

——おまえは、どこの誰か。

——何をしに、ここへ来たのか。

——そもそも、修験とは何か。その手に持つ法具には、どんな意味が込められているのか。

問いは次々に繰り出されます。

すべてに答えきって、はじめて祭場に招き入れられる。

形だけの人は、この門をくぐれないのです。

斧、弓、そして剣

祭場では、三つの儀式が続きます。

法斧(ほうふ)の儀。斧をふるい、目に見えない悪鬼や邪霊を切り払う。

心の迷いや、正しい道をさまたげるものを断ち切るのだといいます。

法弓(ほうきゅう)の儀。東西南北と中央、さらに鬼門へ。

六つの方角に矢を放ち、魔を打ち破ります。

そして、法剣(ほうけん)の儀。

剣で、祭場の魔を断ち切る。——そして、もうひとつ。

由縁書には、こう記されています。

さらには、自分自身の心の中の魔をも断ち切って祓う。

第9話で、私たちはこんな話をしました。

742段を登るとき、あなたを止めようとする存在は「あなた自身の声だ」、と。

この山でいちばん手ごわい相手は、外にはいない、と。

それは、私が勝手に考えた読み解きではありませんでした。

この山の祭りは、昔から、剣を抜いて、それをやっていたのです。

そして、火が灯る

本殿でいただいた神様の火が、護摩壇に移されます。

積み上げられた木に炎が走り、白い煙がもうもうと立ちのぼる。

その煙のなかで、修験者たちの読経が響きます。

全国から寄せられた護摩木——人々が願いを書きつけた木が、次々と炎に投じられていく。

受験の合格。病気の平癒。商売の繁盛。家族の無事。

数えきれない願いが、煙になって空へのぼっていきます。

そして最後が、火渡り神事。燃え尽きた護摩壇の火を均し、その上を裸足で渡ります。

災いを消し、心身を清める行であり、修行のひとつでもあるといいます。

分けられたはずのものが、まだここにある

ここで、最初の問いに戻ります。

明治時代、この国は神と仏を分けました。修験道は禁じられました。

それでも——。

いま、この山では、神職と修験者が並んで立ち、神道の祝詞のあとに読経が響き、山伏が斧と弓と剣をふるっています。

神様の火で、仏教の護摩が焚かれています。

そう。消えなかったのです。

いえ、正確に言えば——この「火」を、消させなかった人たちが、いたのです。

由縁書には、この山で長い時間をかけて形づくられた信仰のかたちを、人々が「太郎坊信仰道」と呼んだ、と記されています。

神道でも、仏教でも、修験道でもない。

この山で、この土地の人々が育ててきた、太郎坊さんの信仰の道。

それは、制度で分けられるようなものではなかったのでしょう。

火を、絶やさずに

お火焚大祭は、いまも毎年つづいています。

けれど、考えてみてください。祭場をしつらえ、竹を立て、注連縄を張り、大量の壇木を積み上げる。全国から届く護摩木を受け、修験者を迎え、当日の段取りを整える。

誰かが、それを毎年やっているのです。

火は、ひとりでに燃えつづけるわけではありません。

薪をくべる人がいるから、燃えている。

そして、あの舞台を明治13年に架けた人たちも、同じでした。

時代がどれほど荒れても、この山に手を入れつづけた人たちが、確かにいたのです。

——ところで、その「強い国をつくる」という明治の道は、この先どこへ向かったでしょう。

じつは太郎坊宮のふもとにも、その答えが残っています。

日本で最初期の民間飛行場が、この平野につくられ、やがて軍のものになりました。

戦闘機が、夫婦岩を目印に飛び立っていったのです。

次回、第12話。

汽車と、飛行機と、千本の鳥居の話をしましょう。

この話の入口になった「なぞ」

1分で読める短編は「あそぼう」ページでどうぞ。

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