SAVE TAROBO PROJECT
まなぼう たろぼう ─ 第13

太郎坊さんの一年 ── 山の上の365日

連載 きてやたろぼう/文・前川 真司

元日、午前零時

前回は、百年前の賑わいの話をしました。

今回は、いまの太郎坊さんの話です。

この山の一年を、一緒にめぐってみましょう。

——まず、元日。

742段の石段が、初詣の人でうまります。

寒空の下、白い息を吐きながら、みんなで一段ずつ登っていく。

その日の早朝、社殿では「歳旦祭(さいたんさい)」が行われています。

新しい年の始まりに、国の安泰と、豊かな実り、そして氏子や崇敬者の幸せを祈る祭りです。

そしてこの祭りのあと、少し変わった儀式があります。

宮司さんが、その年の当番にあたる地区に、御幣(ごへい)を授けるのです。

今年一年、この地区がお世話をします、という引き継ぎです。

——太郎坊宮の一年は、こうして始まります。

一月の上旬には、「どんど祭」。

年末年始に納められた古いお札や正月飾りを、神様の火で焚き上げます。

昔はこれを「初火焚祭(はつひたきさい)」といって、修験者が護摩を焚いていたそうです。

そう、太郎坊宮ではなんと、年の初めにも、火が燃えていたのです。

二月、この山でいちばん大切な日

二月になると、節分の厄除大祭があります。

還暦や初老を迎えた人たちが、福豆をまく。

そして二月二十四日。

この日が、太郎坊宮でいちばん重要な祭り、「例祭(れいさい)」です。

由縁書によれば、太郎坊宮の数多くの祭礼のなかで、最も大切にされている儀式で、神社本庁からの使いを迎えて執り行われます。

じつはこの日付、もとは四月三日でした。

明治11年(1878年)に、いまの二月二十四日へ改められています。

——舞台ができる2年前の話、ここでも、明治です。

この山の一年は、あの時代に、少し形が変わっているのです。

春、神輿と火

春には、「渡御祭(とぎょさい)」があります。

神様が神輿に乗って山を下り、氏子の地区をめぐる祭りです。

鉦と太鼓を打ち鳴らしながら、町を練り歩く。

見どころは、その前夜です。

各地区の人たちが、藁や葦を使って、大きな松明(たいまつ)をつくります。

直径一メートル、高さは四メートルを超える。

夕方、本殿で神事を行い、神様の火をいただいて山を下り、その火を松明に移す。

春の夜に、炎が立ち上がります。

——そう、この山では、冬も、春も、火が燃えているのです。

かつては、この春祭りに「作神輿(つくりみこし)」というものが出ていました。

当番の地区が趣向を凝らして、果物でつくった神輿、お菓子でつくった神輿、玩具でつくった神輿などを仕立てたそうです。

氏子たちの誇りだったといいます。

けれど、戦争による禁制と金属の供出で、この作神輿は途絶えました。

戦後にいったん復活したものの、作り手が減り、いまは樽神輿と子供神輿に姿を変えています。

時代の変化の中で、なくなったものも、あるのです。

五月、田んぼに入る

五月は、「御田植大祭(おたうえたいさい)」。

色鮮やかな衣装の早乙女(さおとめ)たちが、お田植え歌を歌いながら、苗を一株ずつ手で植えていきます。

この田んぼは、ただの田んぼではありません。

ここで穫れたお米が、一年間、神様に供えられるのです。

そして——前回お話しした注連縄を、覚えていますか。

夫婦岩に張られる、数十メートルの注連縄。

あの材料の稲わらは、この日に植えられた稲のものです。

五月に手で植えた稲が、秋に刈られ、冬に縄になって、あの岩を飾る。

一年が、ぐるりとつながっています。

七月、一日で千日分

六月は、「大祓(おおはらえ)」。

茅(ちがや)で編んだ大きな輪をくぐって、半年分の穢れを落とします。

そして七月二十三日、二十四日。

「千日大祭(せんにちたいさい)」です。

この日にお参りすると、千日ぶんお参りしたのと同じご利益がある

——という言い伝えに基づく祭りです。

なんとも太っ腹な話ですが、これは古くからの信仰で、かつては太郎坊宮で最大の祭りでした。

打ち上げ花火が上がり、臨時列車が走りました。

大正時代の記録には、こう残っています。

混雑のあまり、お参りの列がまったく進まなかった。

花火が大好評で、県外からも大勢が見物に来た、と。

今も打ち上げ花火は毎年上がっていますが、実は百年前の夏の夜も、同じ空だったのです。

秋、月と、菊と、新米と

秋になると、山の行事は静かになります。

「観月祭(かんげつさい)」。

中秋の名月を愛でながら、御神前で連歌や短歌、俳句を詠む祭りです。

これは、室町時代の連歌師・宗祇(そうぎ)にちなんでいます。

宗祇は近江国神崎郡の生まれ。つまり、この土地の人です。

その宗祇が詠んだとされる句が、境内の碑に刻まれています。

——三日月の頃より待ちし今宵かな。

三日月の細い頃から、この満月の夜を待っていた、という意味でしょう。

五百年前の人も、この山から月を見上げていたのです。

秋にはほかにも、御神田の稲を刈る抜穂祭、菊の花を献じる献菊祭、新米を供える新嘗祭が続きます。

献菊祭に併せて開かれる菊花展は、この山の秋の風物詩になっています。

十二月、そしてまた元日へ

いよいよ十二月。

前回お話しした、お火焚大祭です。

山が燃え、護摩木が焚かれ、人々が火の上を渡る。

その下旬には、注連縄の張り替え神事があります。

五月に植えた稲でつくられた、あの縄です。

そして年末の大祓で、一年の穢れを落とす。

——気がつけば、また元日です。

こうして、太郎坊さんの一年は、ぐるりと一周します。

祭りのない日は、一日もない

ここまで、大きな祭りばかりを追いかけてきました。

けれど、この回でいちばんお伝えしたいのは、その間の日々のことです。

由縁書には、こう書かれています。

太郎坊宮の一日は、早朝の「日供祭(にっくさい)」から始まる。

神様に食事をお供えする「お祭り」である、と。

そして、こう続きます。

日供祭は毎朝欠かさず執り行われる祭礼であり、これを含めれば太郎坊宮で祭礼のない日は一日もないと言える。

——祭礼のない日は、一日もない。

お正月でも、真夏でも、雨の日でも、台風の日でも。

参拝者が誰も来ない日でも。

毎朝、誰かが山に上がり、神様に食事をお供えしている。

お米、お酒、お塩、お水。そして、その季節のもの。

それを、三百六十五日。

宮司さんは、四十年以上、この山でそれを続けてこられました。

単純に計算しても、一万五千回に近い朝です。

1400回、くり返されてきた一年

あらためて、考えてみてください。

いまご紹介した一年が、この山では1400回ほど、くり返されてきたことになります。

戦争があった年も、飢饉の年も、疫病が流行った年も。

誰かが山に上がり、火を焚き、稲を植え、縄を綯い、朝のお供えをしてきた。

華やかな祭りの日だけではありません。

何もない日の、誰も見ていない朝が、その大半を占めています。

——そしてそれは、いまも続いています。

さて、この連載も残りわずかとなりました。

次回は、この山を、次の世代へどう渡していくのかという話をします。

子どもと一緒に、この石段を登る話です。

この話の入口になった「なぞ」

1分で読める短編は「あそぼう」ページでどうぞ。

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