SAVE TAROBO PROJECT
まなぼう たろぼう ─ 第3

742段の先に、何がある?

連載 きてやたろぼう/文・前川 真司

742段。数えた人がいる

太郎坊宮の参道は、石段です。

その数、742段。

「だいたい700段くらい」ではありません。742段。この数字は一段ずつ数えて確かめたものです。

742という数字を聞いて、多いと思いますか、少ないと思いますか。

登りはじめは、意外と平気です。おしゃべりもできる。

ところが中ほどをすぎたあたりで、ふっと息が変わる。会話が減る。町のざわめきが遠ざかって、風の音と、自分の心臓の音が、やけに大きく聞こえてきます。

この「息が変わる瞬間」こそ、太郎坊さんの参道が用意している、いちばん最初の体験なのかもしれません。

ここから先は、登れません

石段の途中に、ひとつの石があります。

「不上石(ふじょうせき)」。

読んで字のごとく、「上がれない石」です。

由縁書によれば、明治のはじめごろまで、魚やお肉を食べた人は、この石より先へ上がることができませんでした。では、どうしたのか。その不上石がある場所から、遠くの本殿を拝んだのです。

いまの感覚だと、少し厳しく聞こえるかもしれません。でも、この決まりの背景には、「精進潔斎(しょうじんけっさい)」という考え方がありました。魚やお肉を口にせず、身をつつしんで、心と体を清らかにしてから神様の前に立つ——由縁書には、この習わしのなかに、死や血を穢れとして遠ざける神道の信仰と、生きものを殺すことをいましめる仏教の教えの、両方が認められると記されています。

神道と仏教が、ひとつの石のなかで出会っている。

聖徳太子ゆかりの、この山らしい話です。

そして、ここには大事なことが隠れています。

むかしの人にとって、この石段を登れるということは、当たり前ではなかったということです。

登れる、ということ自体が、特別なことだったのです。

じつは、この石段は“新しい”

ところが、実はここでどんでん返しがあります。

いま私たちが登っている、まっすぐな正面の石段。

じつはこれ、後の時代につくられたものだと考えられています。

では、昔の人はどこを歩いていたのでしょう。

宮司さんによれば、かつての参道は、右手のほうからジグザグに折り返しながら山肌を上がっていく道だったといいます。まっすぐ登るのではなく、山のかたちに沿って、行ったり来たりしながら近づいていく。そんな道です。

その古い道すじの跡は、いまも残っています。

近年、その一部が整備され、また歩けるようになりました。

まっすぐ登る石段は、たしかに早い。けれど、ジグザグの道を歩いた人たちは、もっと長い時間をかけて、山と向き合っていたことになります。

同じ山に、二つの登り方がある。どちらが正しいという話ではありません。

ただ、こう考えると面白い。

この山では、道さえも、時代とともに「姿」を変えてきたのだと。

登ることが、祈りだった

なぜ人は、わざわざ登ったのでしょう。

太郎坊宮は、山そのものが神聖な場所とされてきた神社です。神様は、高いところにいらっしゃる。

だから人は、下から上へ、自分の脚で近づいていく。

山にこもって修行をする人たちのことを、山伏といいます。この山にも、そうした修行の歴史がありました。険しい山を歩き、身体をつかいきることで、心を研ぎ澄ましていく——登るという行為そのものが、祈りであり、修行だったのです。

もっとも、宮司さんはこうもおっしゃっていました。

「でもまあ、そこまで厳しくはないんやけどね」

たしかに、太郎坊さんの742段は、修行というほど過酷ではありません。

健康な人なら、ちゃんと登れます。

でも、まったく楽でもない。

この「ちょっとしんどい」が、絶妙なのだと思います。

楽すぎたら、何も変わらない。厳しすぎたら、誰も登れない。

息が上がって、汗をかいて、それでも登りきれる。

その手ざわりが残るから、山を下りたあとも、なにかが自分のなかに残るのでしょう。

この石を、誰かが積んだ

もうひとつ、登りながら考えてみてほしいことがあります。

この742段は、山にもともとあったものではありません。

誰かが石を選び、運び、積み、並べた。

重機のない時代です。急な斜面を、人の手と、人の背中で。

しかも石段は、放っておけば崩れます。

長い年月のあいだ、誰かが直し、また直してきたはずです。

その一段一段の石の上を、いま、あなたが歩いている。

太郎坊宮の参道には、たくさんの鳥居が並んでいます。

それらもまた、人が寄せた思いのかたちです。誰が、なぜ、これほどのものを積み上げたのか——。

その物語は、この連載の後半でゆっくり訪ねましょう。

742段の先に、何がある?

さて、登りきると、何があるのでしょう。

眺めがあります。社殿があります。

けれど、その手前に——最後の関門が待っています。

二つの巨大な岩が、ぴったりと寄りそって立ちはだかる。

人ひとりがやっと通れるほどの、細い岩の隙間。

「夫婦岩(めおといわ)」です。

742段を登りきったあなたを待っているのは、絶景ではなく、この狭い岩の道なのです。

なぜ、最後にこんな場所があるのか。この岩をくぐると、何が切り替わるのか。

次回、第4話では、その謎に踏み込みます。

つぎのおはなし

次回 まなぼう第4話「夫婦岩をくぐると、何が“切り替わる”?」へ続きます。

この話の入口になった「なぞ」

1分で読める短編は「あそぼう」ページでどうぞ。

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