SAVE TAROBO PROJECT
まなぼう たろぼう ─ 第4話

夫婦岩をくぐると、何が“切り替わる”?

連載 きてやたろぼう

最後に、細い道が待っている

742段を登りきると、目の前が開けます。

——と思いきや、そうではありません。

最後に待っているのは、絶景ではなく、狭い道です。

巨大な岩が二つ、ぴったりと寄りそって立ちはだかっている。

「夫婦岩(めおといわ)」。

そのすきまは、幅およそ80センチ、長さは約12メートル。

大人なら、荷物を持ったままでは少し窮屈です。両脇から、ひんやりとした岩がせまってくる。

見上げれば、空は細長く切り取られている。

なぜ、いちばん最後に、こんな場所があるのでしょう。

悪い心は、挟まれる

この岩には、有名な言い伝えがあります。

悪い心を持った者がくぐろうとすると、岩に挟まれてしまう——。

地元では、子どもへの戒めとして、長く語られてきました。

悪いことをしていたら、太郎坊さんの岩は通してくれへんで、と。

実際にくぐってみると、この言い伝えの説得力がよく分かります。

岩の圧迫感。ひんやりとした空気。足元の暗さ。

楽しい気分のまま、へらへらと通り抜けられる場所ではないのです。自然と、背筋が伸びる。

宮司さんは、この体験をこう説明されます。

岩の間の緊張感で厄を払い、払った状態で本殿にお参りする。

だからこそ、願いも叶うだろうという発想につながるのだ、と。

つまり夫婦岩は、ただの通り道ではありません。

ここを抜けるあいだに、何かが切り替わる。そういう禊の場なのです。

神様が、押し開いた

では、この岩はどうやってできたのでしょう。

由縁書には、こう伝えられています。

かつてこの岩は、ひと続きの巨大な岩でした。

それを、太郎坊大神の神力によって、左右に押し開いた——。

両手で岩を割る。とてつもない力です。

一方、地質学の目で見ると、第2話でお話しした「湖東流紋岩(ことうりゅうもんがん)」の割れ目「節理(せつり)」が、長い年月をかけて発達したもの、と説明されます。

どちらが正しいか、ではありません。

地球がつくった形に、人が神様の物語を重ねた。

夫婦岩は、その二つが折り重なっている場所です。

そして、こんな言い伝えも残っています。

二つに見える岩は、地面の下の見えない部分では、ひとつにつながっている——。

だから、夫婦和合の象徴とされてきました。

表からは離れて見えても、根っこではつながっている。夫婦とは、そういうものだ、と。

人が通る道では、なかった

ところが、ここで大きなどんでん返しがあります。

江戸時代の『近江温故録』という書物は、この岩についてこう記しています。

——これ天狗の居る処にて人倫の通路なし。

ここは天狗のいる場所であって、人が通る道ではない。

そうなのです。

私たちが当たり前にくぐっているあのすきまは、かつて「天狗の住まい」と考えられていました。

さらに宮司さんによれば、明治より前の時代、夫婦岩は宮司や神事に関わる人だけが立ち入る、いわば一般の人が立ち入ることのできない聖域だった可能性が高いといいます。

つまり——。

誰もが夫婦岩をくぐって山頂へ向かうという、いまの参拝のかたち。

それ自体が、じつは新しいのです。

第3話でお話しした、まっすぐな石段が後の時代につくられたという話と、これは重なります。

この山では、聖域と人との距離が、時代とともに少しずつ近づいてきた。

むかしは、遠くから拝むしかなかった。いまは、天狗の住処を歩かせてもらえる。

そう考えると、あの狭い道の意味が、少し変わって見えてきませんか。

年に二度、光の道になる

もうひとつ、夫婦岩には不思議な話があります。

岩と岩のすきまは、春と秋のお彼岸のころ、太陽の通り道になると伝えられているのです。

お彼岸は、太陽が真東から昇り、真西に沈む季節。

あの世とこの世がいちばん近づく時期とも言われます。

暗く狭い岩の道に、まっすぐな光が差し込む。

偶然でしょうか。それとも、この岩を聖なる場所とした人々は、その光を知っていたのでしょうか。

答えは、まだ分かりません。

ただ、太陽の道と信仰の場所が重なる話は、この東近江のあちこちで顔を出します。

その物語は、連載の後半でゆっくり訪ねましょう。

ちなみに、ここに隠れた男がいる

最後に、ひとつ余談を。

戦国時代、織田信長を鉄砲で狙撃した杉谷善住坊(すぎたにぜんじゅうぼう)という男がいました。

狙撃に失敗した彼が身を潜めた場所のひとつが、この岩の間だったと伝えられています。

天狗の住まいであり、聖域であり、そして追われる者の隠れ場所でもあった。

夫婦岩は、思った以上に、いろいろなものを見てきた岩なのです。

そして、視界がひらける

狭い岩の道を抜けると、世界が変わります。暗さから、明るさへ。窮屈さから、広がりへ。

目の前に、東近江の平野が一気にひらけるのです。

この落差こそが、太郎坊さんの参道が用意した、いちばんの仕掛けなのかもしれません。

742段を登り、狭い岩に挟まれ、そして——。そこから、いったい何が見えるのでしょう。

次回、第5話では、登った人だけが見ることのできるあの風景を、じっくり眺めます。

この話の入口になった「なぞ」

1分で読める短編は「あそぼう」ページでどうぞ。

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