SAVE TAROBO PROJECT
まなぼう たろぼう ─ 第5

登った人だけが見る、東近江の原風景って?

連載 きてやたろぼう/文・前川 真司

視界が、ひらける

狭い岩の道を抜けると、世界が変わります。

目の前に、東近江の平野がひろがります。

正面には、田んぼと家々。その向こうに、なだらかな山なみ。

晴れた日には、東に鈴鹿の山々、北へ目をやれば伊吹山まで見わたせます。

742段を登り、狭い岩に挟まれた、そのあとにこれです。

苦労のあとの、ごほうび。

——けれど、この景色は、ただのごほうびではありませんでした。

水面に、もうひとつの太郎坊

まず、季節の話をしましょう。

初夏。田んぼに水が張られる時期です。

東近江の平野が、いちめんの水鏡になります。

空が映り、雲が映り、そして赤神山が映る。

するとなんと、水面に、もうひとつの太郎坊さんがあらわれるのです。

見られるのは、田植えの時期のほんの一瞬。風のない、静かな朝にかぎられます。

第2話で、赤神山は「古琵琶湖時代の島」だったかもしれない、というお話をしました。

水にかこまれた岩山。

初夏の一瞬だけ、この山は何百万年も前の姿を思い出しているのかもしれません。

そして、季節がめぐれば、景色も変わります。

朝もやが平野をうめる日には、雲海のなかに山が浮かびます。

秋が深まると、南東の山なみが、夕日を受けて燃えるように赤くなる一瞬があります。

宮司さんは、四十年以上この山でくらしてこられました。

同じ場所から、何千回とこの景色を見てこられたことになります。それでも「素晴らしい場所やな」

と言葉にされるのですから、この眺めには、見飽きるということがないのでしょう。

この眺めは、仕事道具だった

さて、ここからがこの回の本題です。

この「よく見える」を、昔の人は、まったく違うことに使っていました。

由縁書によれば、赤神山の山上にある岩は、「旗振場(はたふりば)」として使われていました。

旗振場とは何か。

江戸時代、日本の米の値段は、大阪の堂島にある「堂島米会所」で決まりました。

世界初の「先物取引」が始まった場所です。

近江商人たちは、その値段を、一刻も早く米産地である近江の各地へ伝えたい。

そこで人々は、見晴らしのよい山の上に立ち、大きな旗をふりました。

次の山にいる人が、それを望遠鏡で読みとる。そしてまた旗をふる。

山から山へ、旗のリレー。

こうして情報は、走る人や馬よりもはるかに速く、遠くの町へ届いたのです。

その時間、堂島から和歌山へは3分、京都まで4分、太郎坊宮まで7分、桑名(三重県北部)まで、わずか10分だったという。

そのスピード、時速720㎞、ジェット機並みの、いわば、江戸時代の光通信ネットワーク。

その中継地点のひとつが、太郎坊さんの山の上でした。

祈りの山であり、絶景の山であり、そして情報の山でもあった。

眺めのよさは、ロマンであると同時に、実利でもあったのです。

眼下の野原は、万葉の舞台

では、もっと古い時代の人は、この景色に何を見たのでしょうか。

山の下にひろがる一帯は、古く「蒲生野(がもうの)」と呼ばれました。

『日本書紀』によれば、天智天皇7年(668)の5月5日、天皇はこの蒲生野で「薬猟(くすりがり)」を催しました。薬になる鹿の角や、薬草を採る、天皇家の初夏の行事です。

その日、この野原にいた人々のなかに、額田王(ぬかたのおおきみ)と、大海人皇子(おおあまのみこ)がいました。

そして、あの有名な相聞歌が詠まれます。

あかねさす 紫野行き 標野行き 野守は見ずや 君が袖振る

——紫草の野を、あなたはそんなに私に袖を振って。野の番人が見てしまうではありませんか。

万葉集のなかでも、とりわけよく知られた一首です。

歌に詠まれた「紫草(むらさき)」は、根から高貴な紫色の染料がとれる植物でした。

今では数を減らし、絶滅危惧種に指定されていますが、東近江市の「市の花」に定められています。

そう。今から1300年以上前、この山の下は天皇と貴族たちが集う、はなやかな野原だったのです。

当時の人が赤神山に登ったかどうかは分かりません。

けれど、蒲生野に立った人が、この三角形の岩山を見上げなかったはずはないでしょう。

同じ景色を、みんな違う目で見てきた

こうして並べてみると、面白いことに気づきます。

万葉の人は、この一帯に、はなやかな野原と恋の歌を見ました。

江戸の人は、山の上から、米の値段を見ました。

いまの私たちは、水鏡と雲海を見て、カメラを構えます。

景色そのものは、たいして変わっていません。

変わったのは、見る人のほうです。

そして、これから先も変わっていくのでしょう。

ということは——。

いま、あなたがこの場所に立って何を感じるかは、この景色の歴史に、新しい一行を書き足すことでもあるのです。

ところで、なぜここに立てるのか

ここまで書いてきて、ひとつ、大事なことを飛ばしていました。

私たちがこの眺めを楽しんでいる場所。

——それは、山の斜面に張り出すように架けられた、木造の「舞台」の上です。

崖にせり出した床。手すりの向こうは、すとんと落ちる斜面。

なぜ、こんな場所に、こんなものが架けられたのでしょう。

そして、この舞台ができる前、人々はどこから山を拝んでいたのでしょう。

次回、第6話では、いま私たちが立っている足元、舞台そのものの物語に入ります。

この話の入口になった「なぞ」

1分で読める短編は「あそぼう」ページでどうぞ。

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