SAVE TAROBO PROJECT
まなぼう たろぼう ─ 第6

舞台は、なぜ架けられたの?

連載 きてやたろぼう/文・前川 真司

その絶景は、床の上にある

前回、東近江の眺めをたっぷりご覧いただきました。

けれど、大事なことを最後に申し上げて終わりました。

あの眺めを見ている場所、実は地面の上ではありません。

山の斜面から張り出すように架けられた、木造の「舞台」の上です。

足元は床板。手すりの向こうは、すとんと落ちる崖。

この建て方を「懸造(かけづくり)」といいます。

平らな土地がないところに、長い柱を組んで床を支え、空中に建物をせり出させる工法です。

いちばん有名なのは、京都の清水寺の舞台でしょう。

あの「清水の舞台から飛び降りる」の、あの舞台です。

太郎坊宮の舞台も、同じ工法で建てられています。

面積規模はずっと小さい。けれど、崖にせり出しているという点では、まぎれもなく仲間です。

むかしは、ここに立てなかった

さて、ここでこの回のいちばん大事な話をします。

むかしの人は、この場所「舞台」に立つことができませんでした。

宮司さんによれば、かつては拝殿から上が神域とされ、一般の人はそこから先へは入れなかったといいます。

では、人々はどうしていたのか。

それは、中腹にある「拝殿」に立ち、その先にそびえる岩山を、下から仰ぎ見て拝んだのです。

第4話で、夫婦岩はかつて立ち入ることのできない聖域だった可能性が高い、と話しました。

第3話では、まっすぐな石段が後の時代につくられたものだ、というお話もしました。

——つながってきました。

この山では、聖なる場所と、人とのあいだに、はっきりとした線が引かれていたのです。

その線の向こう側は、見上げる場所であって、誰しもが簡単に立ち入れる場所ではなかった。

近江高天原

その、線の向こう側。

いまの舞台があるあたりは、古くから「近江高天原(おうみたかまがはら)」と呼ばれてきたと伝えられています。

高天原とは、日本の神話で神々が住むとされる天上の世界のことです。

この山の中腹の一角を、人々は「神々の世界」と呼んだ。

ずいぶん大きな名前をつけたものだと思われるかもしれません。

けれど、実際に登ってみると、この名前はふしぎとしっくりきます。

見上げれば巨岩がそびえ、雲が流れ、風が鳴る。

振り返れば、はるか下に平野がひろがっている。

空と地上の、ちょうど境目のような場所。

ここを高天原と呼びたくなった気持ちは、なんとなく分かる気がするのです。

そこへ、舞台が架けられた

では、なぜその聖域に、舞台が架けられたのでしょう。

太郎坊宮の舞台は、明治13年(1880年)に建てられたと伝えられています。

建てたときの記録そのものは、いまは残っていません。

ただ、大正12年(1923年)に神社でまとめられた記録誌に、舞台が明治13年に初めて建てられたという記述があり、それが手がかりになっています。

明治のはじめは、神社にとって大きな転換期でした。

長いあいだ一緒だった神と仏が、国の方針で分けられた時代です。

(そのお話は、第10話でじっくり訪ねます)

神社のかたちも、人と神様との距離も、大きく動いた時期でした。

そのなかで、この山に舞台が架けられた。

記録がないので、誰がどんな思いで決めたのかは分かりません。

けれど、結果として起きたことは、はっきりとしています。

それまで拝殿から仰ぐしかなかった場所に、誰もが立てるようになったことです。

神々の世界とされた高天原に人が足を踏み入れ、そこから同じ景色を眺められるようになった。

舞台とは、畏れの山と、今を生きる人とを「つないだ場所」なのだ。

私は、そう考えています。

岩の上に、ちょこんと置いただけ

ところで、この舞台。

どうやって崖の上に立っているのだと思いますか。

修復を手がける宮大工の方にうかがって、驚きました。

柱は、地面に深く埋め込まれているわけではないのです。

岩の上に、ちょこんと置いてあるだけ。

その柱を、横木で組み合わせて支える。

それだけで、あの床は空中に浮かんでいます。

そして、146年のあいだ、落ちませんでした。

台風も、地震も、雪も越えてきました。

宮大工さんは、こうおっしゃいました。

「あの舞台は、あの場所に合うてるんです」

固めて動かないようにするのではなく、揺れをうまく逃がす。

その土地に合ったかたちで建てる。

むかしの職人が持っていた知恵です。

そのくわしい話は、この連載の終盤で、じっくりうかがうことにしましょう。

そして、人は願いに来た

こうして、誰もが立てるようになった舞台。

ここに、人々は登ってくるようになりました。

眺めを見に来たのでしょうか。

それもあったでしょう。けれど、それだけではありません。

人は、願いを持って登ってきたのです。

太郎坊宮は、古くから「勝運の神様」として知られてきました。

試合に勝ちたい。試験に受かりたい。仕事の勝負に勝ちたい。

いまも、たくさんの人がそう願って、742段を登ります。

けれど——。

この神社の「勝運」、どうやら、私たちが思っているようなものとは、少し違うようなのです。

次回、第7話では、この山の「勝つ」の意味に踏み込みます。

この話の入口になった「なぞ」

1分で読める短編は「あそぼう」ページでどうぞ。

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