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まなぼう たろぼう ─ 第8

ご祭神の名前に、なぜ“勝”が重なるの?

連載 きてやたろぼう/文・前川 真司

まず、読んでみてください

太郎坊宮のご祭神のお名前です。

正哉吾勝勝速日天忍穂耳大神

漢字で13文字。読みはひらがなで24文字。

「まさか あかつ かちはやひ あめのおしほみみ のおおかみ」とお読みします。

一度で覚えられる方は、そう多くないでしょう。

ですが、この長いお名前は、意味のかたまりに分けると、ぐっと分かりやすくなります。

正哉(まさか)/吾勝(あかつ)/勝速日(かちはやひ)/天忍穂耳(あめのおしほみみ)。

順に見ていきましょう。

これは、勝ちどきの声だった

「正哉」は、まさに、まさしく。

「吾勝」は、吾(われ)勝てり。

「勝速日」は、朝日が昇るような勢いで、速やかに勝った。

つなげると、こうなります。

——まさに勝った、われは勝った。朝日が昇るように、速やかに勝った。

お名前というより、叫び声です。

勝負がついた瞬間の、あの声。

それがそのまま、神様のお名前になっているのです。

では、いったい誰が、何に勝って、この声をあげたのでしょう。

神々の、賭け

ここで、日本の神話「古事記」をひらきます。

ある日、太陽の女神・天照大神(あまてらすおおみかみ)のもとに、弟の素戔嗚尊(すさのおのみこと)が訪ねてきました。

けれど姉は、弟を疑います。

乱暴者の弟が、自分の国を奪いに来たのではないか、と。

弟は言います。私に邪心はない、と。

そこで二人は、身の潔白を確かめるために、ある占いを行いました。

「宇気比(うけい)」といいます。

あらかじめ結果の意味を決めておいて、実際にどうなるかで、正しいかどうかを判定する。

——いわば、神様どうしの賭けです。

そして、その占いから神々が生まれました。

結果を見た素戔嗚尊は、こう叫びます。

——われ勝ちぬ。

私の心は潔白だった、私の勝ちだ、と。

その勝利の雄叫びを、そのままの名としてお授かりになったのが、この占いで最初に生まれた「御子神(長男)」です。

それが、正哉吾勝勝速日天忍穂耳大神。

太郎坊宮の、ご祭神です。

勝運の神様と呼ばれてきたのは、伝説のせいでも、後づけの評判でもありません。

お名前そのものが、勝利なのです。

ところが、この神様は

さて、ここからが面白いところです。

勝利の名を持つこの神様は、天照大神の御子として、やがて大きな役目を任されます。

天上から地上へ降りて、この国を治めよ——。

いわゆる「天孫降臨(てんそんこうりん)」です。

神話のなかでも、とりわけ重い場面。

勝利の名を持つ神が、いよいよ地上へ。

——ところが。

この神様は、地上に降りませんでした。

支度をしているあいだに、さらに御子が生まれたのです。

そこでこう申し上げます。

この子を、代わりに降ろしてください、と。

こうして地上へ降りたのは、その御子・あの有名な「瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)」でした。

勝利の名を持つ神は、自分の一番の晴れ舞台を、次の世代に譲ったことになります。

勝つとは、譲れることでもある

ここで、ふと考えてしまいます。

これほど「勝った、勝った」という名を持つ神様が、いちばん大きな役目を譲っている。

矛盾しているようにも見えます。

けれど、こうも読めるのではないでしょうか。

ほんとうに強い者は、譲れる。

自分が「勝利の主役」でなければ気がすまない、というのは、じつは弱さかもしれません。

前回、義経の話をしました。

勝ちすぎた義経は、その勝利のために追われる身となりました。

勝つことと、その勝ちをどう捉え、どう扱うか。この二つは、まったく別の問題なのです。

太郎坊宮のご祭神は、勝利の名を持ちながら、譲ることを選んだ神様です。

そう考えると、この山の「勝運」は、ただ相手を打ち負かすことだけではないように思えます。

その神も、西の野にいる

ところで、この「われ勝ちぬ」と叫んだ神様。

——素戔嗚尊(スサノオノミコト)。

じつはこの神様も、太郎坊宮から見える風景のなかにいらっしゃいます。

前回ご紹介した、野洲市大篠原の平家終焉の地「蛙鳴かずの池」。

そこから歩いて数分のところに、大笹原神社(おおささはらじんじゃ)というお宮があります。

ご祭神は、なんと素戔嗚尊。

そして驚くことに、この神社の本殿は国宝です。

応永21年(1414年)、岩倉城主・馬淵定信によって建てられたものが、いまも建っています。

彩色をほどこさない白木のまま、細部にびっしりと彫刻を彫り込んだ、東山文化の粋。

中世の神社建築のなかでも、もっとも優れたものの一つと評されています。

しかし、素戔嗚尊といえば、出雲を思いうかべる方が多いでしょう。

けれど、その神を祀る国宝の社殿が、出雲ではなく、この近江に建っているのです。

同じ時代に、同じ名を失った社

しかも、この神社には、もうひとつ気になることがあります。

大笹原神社は、もともと「牛頭天王社(ごずてんのうしゃ)」と呼ばれていました。

神と仏がいっしょだった時代の名前です。

それが明治になって、いまの「大笹原神社」という名に改められました。

——どこかで聞いた話ではありませんか。

太郎坊宮もまた「太郎坊権現」と呼ばれていたのが、明治9年に阿賀神社と改められています。

同じ時代の、同じ波。

離れた二つの社が、まったく同じことを経験しているのです。

このとき何が起きたのかは、第10話でじっくり訪ねることにしましょう。

そして、あらためて地図を見てみてください。

勝利の雄叫びをあげた素戔嗚尊が、国宝の神社に鎮まる野。

その叫びを名として授かった御子神が、742段の上に鎮まる山。

平家が滅んだ池と、その平家が遺した水路のすべて。

——太郎坊宮の舞台から西を眺めれば、そのすべてが、やはりひとつの視界のなかにあります。

近江とは、そういう土地なのだと思います。

この山の名前にも、その痕跡が

ちなみに、この神様は、地元にちょっとした名残を残しています。

太郎坊宮のふもとの地名を「小脇(おわき)」といいます。

由縁書によれば、この神様が天照大神の脇からお生まれになった——という言い伝えがあり、「この脇の子」から小脇の地名になった、という話が伝えられているそうです。

もちろん、地名の由来には、ほかの説もあります。

けれど、神話の登場人物と、いま人が暮らす町の名前が、こうしてつながっている。

千年以上前の物語が、日々の暮らしの言葉のなかに、まだ残っているのです。

では、誰に勝つのか

ここまでで、二つのことが分かりました。

この神社のご祭神は、名前そのものが勝利であること。

そしてその神様は、いちばん大きな役目を、譲った神様であること。

勝つ力と、譲る強さ。

その両方を持つ神様が、742段の上で待っておられます。

——では、この山は、私たちに誰と戦えと言っているのでしょう。

次回、第9話。いよいよ、この連載でいちばん手ごわい相手が姿をあらわします。

この話の入口になった「なぞ」

1分で読める短編は「あそぼう」ページでどうぞ。

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