あなたを止めようとする声
742段を、思い出してください。
登りはじめは元気です。おしゃべりもできる。
百段をこえたあたりから、口数が減ります。
三百段。ふくらはぎが張ってくる。
五百段。呼吸が浅くなる。
そして、聞こえてきます。
——しんどい。
——ちょっと休もう。
——というか、ここまででじゅうぶんやないか。
——さて、この声は誰の声でしょう。
天狗ではありません。神様でもありません。
自分の声です。
石段は、ただそこにあるだけです。
夫婦岩も、黙って立っているだけ。
この山には、あなたを止めようとするものは、何ひとつありません。
ただひとつ、自分の中の声をのぞいては。
義経を追いつめたもの
第7話で、こんな問いを残しました。
義経を最後に追いつめたのは、平家だったのでしょうか。
違います。平家は、すでに滅んでいました。
では、何だったのか。
義経は、戦の天才でした。次々と勝った。けれど、勝ち方が鮮やかすぎた。
兄・頼朝の許しを得ないまま、朝廷から高い位を受けてしまう。
勝利に酔ったのか、自分の力を信じすぎたのか。
そのふるまいが、兄の疑いを決定的なものにしました。
もちろん、事情は複雑です。義経ひとりの落ち度ではありません。
けれど、こう言うことはできるでしょう。
彼を追いつめたものは、外の敵ではなく、勝ったあとの、自分の扱い方だった、と。
勝つのは、難しい。
けれど、勝ったあとの自分と付き合うのは、もっと難しいのです。
戦わずして、すでに勝てる者
ここで、由縁書に記された、ひとつの言葉をご紹介します。
——戦わずして、すでに勝てる者に、勝利の栄冠を授く。
不思議な言葉です。
戦う前から、すでに勝っている人がいる、というのです。
それは、どういう人でしょうか。
運が良い人のことでしょうか。強い味方がいる人のことでしょうか。
おそらく、違います。
やるべきことをやりきった人。
逃げたくなる自分を、何度も引き戻してきた人。
本番の前に、すでに自分との勝負を終えている人のことでしょう。
そういう人に、神様は栄冠を授ける。
裏を返せば、こうも読めます。
——自分との勝負を終えていない人に、授けるものは何もありませんよ、と。
願うだけでは、たどり着けない
神社にお参りすると、たいてい、こう願います。
どうか、うまくいきますように。
合格しますように。試合に勝てますように。
けれど、考えてみてください。
神様は、あなたの代わりに走ってはくれません。
代わりに問題を解いてもくれませんし、代わりに練習もしてくれません。
願うだけでは、どこにもたどり着けないのです。
では、祈ることに意味はないのでしょうか。
いいえ、あります。
祈るとき、人は自分の願いを、はっきりと言葉にします。
何をしたいのか。何のために、ここまでやってきたのか。
ふだんは曖昧なままの気持ちが、神様の前に立つと、輪郭を持ちはじめる。
祈りとは、お願いであると同時に、自分への確認なのだと思います。
——はたして私は、本気でやろうとしているのだろうか。
742段を登りきった人だけが、この問いを、息を切らしながら自分にぶつけることになります。
この山は、勝たせてくれる山ではない
ここまで来て、ようやく分かってきました。
太郎坊宮の「勝運」とは、誰かを打ち負かすためだけの「力」のことではありません。
ご祭神は、勝利の名を持ちながら、いちばん大きな役目を次の世代に譲った神様でした。
この神社が教えているのは、たぶん、こういうことです。
勝つとは、相手を倒すことではなく、自分をととのえること。自分自身に勝つこと。
だから、この山は登りにくいままなのです。
エレベーターをつければ、もっと多くの人が来るでしょう。
けれど、それでは、あの声と戦う機会が失われてしまう。
742段は、不便ではなく、自分と向き合うための、まさに「装置」なのです。
そして、下りていく
そしてお参りを終えたら、同じ石段を下ります。
行きと帰りで、同じ道のはずなのに、景色がまるで違って見えます。
登るときは、足元しか見えませんでした。
下るときは、平野が正面にひろがっています。
そして、なぜか少しだけ、自分が変わったような気がする。
何かを成し遂げたわけではありません。
ただ、登って、祈って、下りてきただけです。
けれど昔から人は、この「ただ登って、下りてくる」ことを、何百年もくり返してきました。
意味がないなら、とうにやめているはずです。
その、さらに西へ
最後に、もう一度だけ、山の上から西を眺めてみましょう。
義経が元服した鏡の里。平家が終わった終焉の池。素戔嗚尊が鎮まる国宝の社。
この連載では、何度も「西」を見てきました。
けれど、その西の、さらに向こうには何があるのでしょう。
琵琶湖があり、比叡山があり、出雲大社があり、やがて海があります。
そして海の向こうには——。
じつは、この夕日の方角に、帰れない故郷を思った人たちがいました。
海を越えてこの地へやってきて、二度と戻ることのなかった人々です。
彼らが持ち込んだ技術と信仰は、いまも、この東近江の風景のなかに残っています。
次回、第10話。この山の物語は、いよいよ日本の外へとつながっていきます。
